Page 147 - 新生への道-text
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認め、心も知性も「わたしはある」と言われた偉大な神
のみ前にひざまずかなければなりません。

一見、聖書には、難しく、不明瞭なことが多いので
すが、神は、それを理解しようと求める人々には、わか
りやすく単純にしてくださいます。けれども、聖霊の導
きがなければ、聖書の意味を曲解したり、誤解したりす
る危険があります。聖書を読んでも何の利益も受けず、
かえってそれによって大きな害を受けている人々もいま
す。敬虔な心と祈りなしに神のみ言葉を開いたり、思い
と愛情が神に向いていなかったり、または、神のみ心に
調和しないでいると、心は疑惑の雲でおおわれ、聖書研
究をしていながら、懐疑心が強められるのです。敵が思
想を支配して、正しくない解釈を暗示します。人が言葉
にも行いにも神と一致しようと求めていなければ、いく
ら教育がある人であっても、聖書の解釈を誤りやすくな
りますから、彼らの解釈をあてにしては危険です。矛盾
を見いだそうと思って聖書を探る人は、霊の目がまだ開
かれていない人です。偏見をもって見てしまうため、ほ
んとうはわかりやすく単純な事柄でも、何かと理屈を言
って疑い信じようとしないのです。

いろいろな仮面をかぶってはいますが、疑いと不信の

12 疑いをどうするか | 147
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