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15:4)と言われました。この言葉には休み、安定、
信頼と言う意味が含まれています。またイエスは私たち
を招いて、「わたしのもとにきなさい。あなたがたを休
ませてあげよう」(マタイ11:28)と言われまし
た。同じ思想を詩篇記者は「主の前にもだし、耐え忍び
て主を待ち望め」(詩篇37:7)と言っています。ま
たイザヤも、「穏やかに信頼しているならば力を得る」
(イザヤ30:15)と言いました。この休みは何もし
ないことの中にあるのではありません。というのは、救
い主の休みの約束への招待は、働きに対する召しも伴っ
ているからです。「わたしのくびきを負うて、わたしに
学びなさい。そうすれば、あなたがたの魂に休みが与え
られるであろう」(マタイ11:29)。キリストにあ
って真に休息できる心は、最も熱心に、活動的に、キリ
ストのために働くのです。

自分のことを考えていると、心は、力といのちの源で
あるキリストから離れていきます。そして、悪魔は、人
の心を救い主からそらそうと絶えず努力して、キリスト
との一致と交わりを妨げようとするのです。世の快楽、
生活上の心配事、悩み、悲しみ、他人の欠点、または自
分の欠点や不完全さ、こうしたものの全部、またはその

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