Page 188 - Revival of faith -text final
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うちにとどまり、生きているからです。
毎日、毎日、聖霊を雨のように受けるからです。雨が注ぐときに、

植物は成長し続けます。神の命が注がれているからです。そしてこれ
は、「前の雨」の経験です。成熟して、実を結ぶまで、成長し続けま
す。完全になるわけです。あれをちゃんとやったか、規則通りやった
か、と言うような、律法主義的な考え方によってではありません。

心をつくして神を愛するなら、神様に対して罪を犯すことはなくな
りますし、罪を犯すことは、心が痛むのです。もう神様を傷つけるよ
うなことは、したくなくなります。完全というのは、その人の状態なの
です。

すべての実が熟したとき、必要なものは何ですか。「後の雨」で
す。「後の雨」が降り注いだ、その実の成熟が完成させられます。実
が甘くされるのです。こうなることによって、捧げ物としてふさわしく
なるわけです。印を押して、市場に持って行く用意ができるわけです
ね。ですから、「後の雨」と「神の印」が同じものとして、描かれてい
るわけです。印された者たちが、「後の雨」を受けます。

後の雨の経験

では終末において、「後の雨」の目的とは何でしょう。神の民は、
しばらくの間、日曜休業令の試験を受けることになります。激しく試
みられます。そして、どのような犠牲を払ってでも、神様を愛するか
どうかがテストされます。その、私たちの真の動機が明るみに出され
ます。なぜ神様に従っているのかということ、それが明らかにされま
す。

そして、私たちがテストを受けた、印を押されます。「生ける神の
印」を受けます。それから「後の雨」が降り注がれます。私たちが印
された、もはや動かされることはなくなるわけですね。それによって、

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