Page 189 - Revival of faith -text final
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私たちは、最後の7つの災害を、武具をまとって、傷を受けることな
く、通過することができるようになるのです。それは、私たちが、最後
の試練のを通過するための防具となってくれるのです。そして、「後
の雨」が注がれた、驚くべき力をもって、大いなる叫びを発すること
ができるようになります(黙示録18章参照)。これが「後の雨」の
経験です。
このように、罪の勝利の経験、品性完成の経験は、「前の雨」のも
とで経験されなければなりません。使徒行伝3章19節、20節に、
「だから、自分の罪をぬぐい去っていただくために、悔い改めて本
心に立ちかえりなさい。それは、主のみ前から慰めのときがきて、あ
なたがたのためにあらかじめ定めてあったキリストなるイエスを、神
がつかわして下さるためである」とあります。「悔い改めなさい」とい
う言葉がありますが、これは、聖所の外庭における回心の経験です
ね。「本心に立ちかえりなさい」、これは、聖所の第1の部屋で体験す
る聖化のことです。「罪をぬぐい去っていただく」、これは、至聖所に
おける罪の除去の経験です。
旧約聖書における聖所の働きは、キリストの贖いの働きを予表し
ていたものでした。それは,外庭における罪のゆるし、聖所の第一の
部屋における聖化、そして、至聖所における罪の除去の経験です。至
聖所の経験において、私たちの罪の記録が、「天の記録の書」から
消去される必要があります。私たちが、罪のこの世にあって、まだ罪
を犯し続けている間は、この記録の書から、私たちの罪の記録を消
去することはできません。どうしてでしょうか。私たちが、罪を犯し続
ける、天使たちは、たえず罪の記録を取らなくてはなりません。天使
たちは、人が罪を犯すと、罪の記録を書きしるし、そして罪を告白し
て悔い改める、そこにゆるしを書き入れます。書いてはゆるし、また
書いてはゆるし、絶えずそれを行っているとすれば、神様は、私たち
の罪の記録を最終的にいつ消せばよいのでしょうか。
後の雨に備える│189
く、通過することができるようになるのです。それは、私たちが、最後
の試練のを通過するための防具となってくれるのです。そして、「後
の雨」が注がれた、驚くべき力をもって、大いなる叫びを発すること
ができるようになります(黙示録18章参照)。これが「後の雨」の
経験です。
このように、罪の勝利の経験、品性完成の経験は、「前の雨」のも
とで経験されなければなりません。使徒行伝3章19節、20節に、
「だから、自分の罪をぬぐい去っていただくために、悔い改めて本
心に立ちかえりなさい。それは、主のみ前から慰めのときがきて、あ
なたがたのためにあらかじめ定めてあったキリストなるイエスを、神
がつかわして下さるためである」とあります。「悔い改めなさい」とい
う言葉がありますが、これは、聖所の外庭における回心の経験です
ね。「本心に立ちかえりなさい」、これは、聖所の第1の部屋で体験す
る聖化のことです。「罪をぬぐい去っていただく」、これは、至聖所に
おける罪の除去の経験です。
旧約聖書における聖所の働きは、キリストの贖いの働きを予表し
ていたものでした。それは,外庭における罪のゆるし、聖所の第一の
部屋における聖化、そして、至聖所における罪の除去の経験です。至
聖所の経験において、私たちの罪の記録が、「天の記録の書」から
消去される必要があります。私たちが、罪のこの世にあって、まだ罪
を犯し続けている間は、この記録の書から、私たちの罪の記録を消
去することはできません。どうしてでしょうか。私たちが、罪を犯し続
ける、天使たちは、たえず罪の記録を取らなくてはなりません。天使
たちは、人が罪を犯すと、罪の記録を書きしるし、そして罪を告白し
て悔い改める、そこにゆるしを書き入れます。書いてはゆるし、また
書いてはゆるし、絶えずそれを行っているとすれば、神様は、私たち
の罪の記録を最終的にいつ消せばよいのでしょうか。
後の雨に備える│189

