Page 56 - 新生への道-text
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自覚していないのです。私たちは、自分の罪が刺し通したキ
リストをながめながら、彼の愛と犠牲を侮蔑することができ
るでしょうか。栄光の主の無限のへりくだりをよく知りなが
ら、罪との戦いや、自己卑下を通してでなければ命に入るこ
とができないと言って、つぶやいてもよいのでしょうか。
「悔い改めて心を低くしなければ、神に受け入れられたと
いう保証が得られないのは、どうしたことだろう」と尋ねる
高慢な人が多くいます。そういう人はキリストを見ていただ
きたいのです。彼は罪を犯されなかったばかりでなく、天の
王子でしたが、人類の身代わりとなって罪人となられました。
「とがある者と共に数えられたからである。しかも彼は多く
の人の罪を負い、とがある者のためにとりなしをした」(イザ
ヤ53:12)のです。
私たちがすべてを捧げるといっても、いったい何を捧げ
るのでしょうか。それは、イエスに清められ、その血によって
洗 わ れ 、彼 の 無 比 の 愛 によって救 わ れるた め にささげる、
罪に汚れた心だけです。それなのに人々は、それを捨てが
たいと思っています。私はそういう話を聞き、また書くことさ
え恥ずかしくなります。
神は、私たちが持っていて益になるものは、何ひとつ捨て
るようにとはお求めになりません。何をなさるにも、いつも
56 | 新生への道
リストをながめながら、彼の愛と犠牲を侮蔑することができ
るでしょうか。栄光の主の無限のへりくだりをよく知りなが
ら、罪との戦いや、自己卑下を通してでなければ命に入るこ
とができないと言って、つぶやいてもよいのでしょうか。
「悔い改めて心を低くしなければ、神に受け入れられたと
いう保証が得られないのは、どうしたことだろう」と尋ねる
高慢な人が多くいます。そういう人はキリストを見ていただ
きたいのです。彼は罪を犯されなかったばかりでなく、天の
王子でしたが、人類の身代わりとなって罪人となられました。
「とがある者と共に数えられたからである。しかも彼は多く
の人の罪を負い、とがある者のためにとりなしをした」(イザ
ヤ53:12)のです。
私たちがすべてを捧げるといっても、いったい何を捧げ
るのでしょうか。それは、イエスに清められ、その血によって
洗 わ れ 、彼 の 無 比 の 愛 によって救 わ れるた め にささげる、
罪に汚れた心だけです。それなのに人々は、それを捨てが
たいと思っています。私はそういう話を聞き、また書くことさ
え恥ずかしくなります。
神は、私たちが持っていて益になるものは、何ひとつ捨て
るようにとはお求めになりません。何をなさるにも、いつも
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