Page 74 - 新生への道-text
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たものは嫌うようになります。高慢、不遜な人は、柔
和、謙遜になります。軽はずみで落ち着きのない人は真
面目で控えめになり、酒に酔う者はそれをやめ、放蕩者
は純潔になります。世的なむなしい習慣や流行を追う気
持ちはなくなり、クリスチャンは「外面の飾りではな
く、かくれた内なる人、柔和で、しとやかな霊という朽
ちることのない」(Ⅰペテロ3:3,4)飾りを求める
ようになります。
ですから、もし改革が起こらなければ真に悔い改
めたとは言えません。担保としてあずかったものを戻
し、奪ったものを返し、罪を告白し、神と人とを愛す
るようになったなら、その人は確かに死から生に移っ
ているのです。
あやまちがあり、罪あるままの姿でキリストのもと
に行き、ゆるしの恵みを受けるとき、心の中に愛がわき
起こります。キリストの課されるくびきはやさしいので
すから、すべての重荷は軽くなります。義務は喜びとな
り、犠牲は楽しみになります。以前には暗黒に包まれて
いるように見えた道も、義の太陽に照らされて明るくな
ります。
キリストのうるわしい人格は、彼に従う者のうちに
74 | 新生への道
和、謙遜になります。軽はずみで落ち着きのない人は真
面目で控えめになり、酒に酔う者はそれをやめ、放蕩者
は純潔になります。世的なむなしい習慣や流行を追う気
持ちはなくなり、クリスチャンは「外面の飾りではな
く、かくれた内なる人、柔和で、しとやかな霊という朽
ちることのない」(Ⅰペテロ3:3,4)飾りを求める
ようになります。
ですから、もし改革が起こらなければ真に悔い改
めたとは言えません。担保としてあずかったものを戻
し、奪ったものを返し、罪を告白し、神と人とを愛す
るようになったなら、その人は確かに死から生に移っ
ているのです。
あやまちがあり、罪あるままの姿でキリストのもと
に行き、ゆるしの恵みを受けるとき、心の中に愛がわき
起こります。キリストの課されるくびきはやさしいので
すから、すべての重荷は軽くなります。義務は喜びとな
り、犠牲は楽しみになります。以前には暗黒に包まれて
いるように見えた道も、義の太陽に照らされて明るくな
ります。
キリストのうるわしい人格は、彼に従う者のうちに
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