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いので、戒めを廃棄しない限り、罪人が赦されることは不可能だと
主張していました。アダムとエバが罪を犯した時、それが証明された
と言って、サタンは大喜びしました。しかしイエス様は、人間になって
この地に来られ、私たち罪人の肉体をとり、同じ誘惑と試練に直面
しながらも、罪の力を打ち破って勝利者になられました。「律法が肉
により無力になっているためになし得なかった事を、神はなし遂げて
くださった。すなわち、御子を罪の肉の様で罪のためにつかわし、肉
において罪を罰せられたのである。これは律法の要求が、肉によら
ず霊によって歩くわたしたちにおいて、満たされるためである」(ロー
マ8:3、4)。

イエス様は、その生涯と死を通して、律法の要求は、神の愛を否
定するものではなく、また、愛は、律法を不要とするものではないこ
とを明らかにされました。律法の要求を軽視して罪を赦すのではな
く、愛によって、律法を完全に守ることが出来るということを、イエス
様は教えられたのです。この神様の律法に対する戦いは、世の終わ
りまで続いていきます。

しかし、あがないの歴史の終わりが近づくにつれて、イエス様が示
して下さった、その完全な従順の姿を、再現する人々が現れなけれ
ばなりません。彼らは、イエス様の血で洗われ、心が改変された人々
です。全宇宙は、神様が立てられた救いの計画に従う人々、つまり、
罪人であったが真理によって回復され、罪のない世界に受け入れる
のに安全になった人々を見ることになります。この働きは、真理の光
に応じて、与えられた真理の理解と知識に比例して成し遂げられる
ことになります。

全ての人の審判は、それぞれの時代に与えられた光の量に従って

第8章 │ 169
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