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歴史が始まって以来、かつてなかったほどの艱難の時が、それほ
ど遠くない将来に起きてきます。その艱難の時には、各自が、自分の
品性をもって神様のみ前に立たなければなりません。今、私たちの
大祭司が私たちのためにあがないをしておられる間に、私たちは、
キリストにあって完全になることを求めなければなりません。救い
主は、その思いにおいてさえ、誘惑に屈服されませんでした。サタン
は、人々の心の中に、なんらかの足場を見つけます。心の中に罪の
欲望があると、サタンはそれを用いて誘惑の力を表します。しかし、
キリストはご自身について、「この世の君が来るからである。だが、彼
はわたしに対して、なんの力もない」(ヨハネ14:30)と宣言されま
した。サタンは神の子の中に、彼に勝利を得させるなんのすきも見つ
けることができませんでした。神のみ子は、天の父なる神様の戒め
を守られました。そして、サタンが自分に有利に活用することのでき
る罪が、イエス様の中にはありませんでした。これが、やがて艱難の
時に立つべき人々のうちになければならない状態です。

黙示録を書いたヨハネは、小羊がシオンの山に立っていて、14万
4千人が天父のみ名を額に受け、小羊と共にいる光景を見せられま
した(黙示録7章参照)。彼らは天の印を持っていました。彼らは神様
のみかたちを反映し、聖なるお方の光と栄光で満ちていました。

14万4千人は、全世界の前に、人を再創造する真理を持って立つ
人々であり、迫害にあう時、彼らの中に形づくられた、栄光の望みで
あるキリストの姿と品性を、全世界に表す人々です。キリスト者の品
性の理想は、キリストのようになることです。人間の肉体をとられた
キリストの生涯が完全であったように、キリストに従う人々も、神様
の戒めを守ることに完全であるべきです。キリストの品性は、私たち

第8章 │ 171
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