Page 156 - Revival of faith -text final
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りすぐれた人間として目立っていたわけです。必然的に私は、高慢な
人間になっていきました。教会員が私のところに来て、「誰々先生の
説教を聞いたことがありますか」、と言われたことがありました。「素
晴らしい説教をなさる方がいますよ」とかそういう話を聞くと、わた
しは嫉妬の念にかられるわけです。いつも自分が一番になりたかっ
たのです。
ところが福音の経験にあずかって以来、私は、自分の肉の思いを
神様にささげる、神様に屈服させることについて学ぶことができた
わけです。妻に対しても、自分を譲るといいますか、そういったことを
学ぶことができました。若い頃は、私は37年前に結婚したのですけ
れども、その私は、まあ、一生私にかしずいてくれる僕ができたぞと
いう思いでした。母親も私の4人の姉妹も、私に仕えていてくれたの
です。妻として、私に仕えてくれる人がもう1人増えたぞと思ったわけ
です。しかし、神様のみ前で悔い改め、罪を告白し、神様に屈服して
からは、妻に対しても屈服することができるようになりました。
神様は、私が生まれつきどんな人間かということをよくご存知でし
たので、私がありとあらゆる試練、迫害にあうことを、あえて許されま
した。特に私がこよなく愛していた教会から、教会内でそういった苦
しみを受けました。私の親しい友人、親しかった牧師仲間たちが、急
に私に反対して、私の最も苦い敵となってしまったのです。理解でき
ませんでした。どうして私にそのようなことが起こるのか、再臨信仰の
本当のメッセージ、真理を発見して、それを語るようになったら、間も
なく、教会の信徒や指導者たちが私を憎むようになったのです。
私はかつて人気のある人間でした。敵は作らない人間でした。作
るのは大嫌いでした。しかし本物の福音を語り出して以来、私は孤
独の道を歩き始めることになったのです。そして、イエス様の十字架
を負うということが理解できるようになりました。神様は私を、「塵
に伏させる」ような経験をさせられたのです。塵に伏させて、人に踏
156│信仰のリバイバル
人間になっていきました。教会員が私のところに来て、「誰々先生の
説教を聞いたことがありますか」、と言われたことがありました。「素
晴らしい説教をなさる方がいますよ」とかそういう話を聞くと、わた
しは嫉妬の念にかられるわけです。いつも自分が一番になりたかっ
たのです。
ところが福音の経験にあずかって以来、私は、自分の肉の思いを
神様にささげる、神様に屈服させることについて学ぶことができた
わけです。妻に対しても、自分を譲るといいますか、そういったことを
学ぶことができました。若い頃は、私は37年前に結婚したのですけ
れども、その私は、まあ、一生私にかしずいてくれる僕ができたぞと
いう思いでした。母親も私の4人の姉妹も、私に仕えていてくれたの
です。妻として、私に仕えてくれる人がもう1人増えたぞと思ったわけ
です。しかし、神様のみ前で悔い改め、罪を告白し、神様に屈服して
からは、妻に対しても屈服することができるようになりました。
神様は、私が生まれつきどんな人間かということをよくご存知でし
たので、私がありとあらゆる試練、迫害にあうことを、あえて許されま
した。特に私がこよなく愛していた教会から、教会内でそういった苦
しみを受けました。私の親しい友人、親しかった牧師仲間たちが、急
に私に反対して、私の最も苦い敵となってしまったのです。理解でき
ませんでした。どうして私にそのようなことが起こるのか、再臨信仰の
本当のメッセージ、真理を発見して、それを語るようになったら、間も
なく、教会の信徒や指導者たちが私を憎むようになったのです。
私はかつて人気のある人間でした。敵は作らない人間でした。作
るのは大嫌いでした。しかし本物の福音を語り出して以来、私は孤
独の道を歩き始めることになったのです。そして、イエス様の十字架
を負うということが理解できるようになりました。神様は私を、「塵
に伏させる」ような経験をさせられたのです。塵に伏させて、人に踏
156│信仰のリバイバル