Page 160 - Revival of faith -text final
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本当の意味で謙虚になることができるのです。謙遜になろうと努力
しなくてもいいのです。もう、自然に謙遜になれます。神様のみ前で
は、何ものでもないからです。すべて、神様の恵みによるものだから
です。

    
安息日は、生ける神の印と言われています。なぜでしょう。神様の
み力のうちに私たちが休むからです。神様の創造のうちに、休むか
らです。神様にあって、私たちは土くれになるわけです。自分の栄光
を塵に伏させるわけです。その上で、イエス・キリストに、私達たちを
違う人間に造り変えていただくわけです。それが、信仰による義認で
す。イエス様が私たちを義としてくださることをイエス様に期待する
わけです。
もう一つ申し上げたいことは、『教会への証』という本の第一巻を
読んでいただきたいのですが、その中でこう言われています。「今、
真理を信じている者たちのほんのわずかな者だけが、それによって
清められ、救われるという驚くべき事実が私に示された」(1T608
p)。また、『各代の大争闘』には、「あらしが迫って来るとき、第三
天使の使命を信じると公言していながら、真理に従うことによって清
められていなかった多くの者が、その信仰を捨てて反対の側に加わ
る」(下巻378P)とあります。つまり、教会員の大多数の者が獣の刻
印を受けるようになるということです。なぜなのでしょうか?
安息日ではなく、土曜日を守るからなのです。安息日を遵守するこ
との意味を理解しておられますか。終末において、安息日が最後の
テストとなります。それで終わりですね。すべての人を、神様は試験な
さいます。十戒の第4条をもってテストされます。これが「現代の真
理」です。
「現代の真理」とは何ですか。ノアの代の「現代の真理」は何で
したか。箱舟に入ることでした。エリヤの代の「現代の真理」は何で

160│信仰のリバイバル
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