Page 44 - Revival of faith -text final
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真理は単なる教理ではない
今朝のお話は、「主は我らの義」というものです。救いの問題に関
して言うならば、世界中の人たちは4つのグループに分けることがで
きると思います。そのことを、「教会の残りの民」という概念から考え
てみたいと思います。
黙示録12章には、「女の残りの子ら」のことが書かれています。
皆さんはこの「女の残りの子ら」に属している人でしょうか? さだか
ではないですか? この「女の残りの子ら」に入っていることを、はっ
きりさせるべきであると思います。さもなければ、救いを逃してしまう
ことになります。では「女の残りの子ら」の特徴というのはどんなもの
でしょうか。まず、何を守るのでしょうか。神の戒めを守ります。それ
から、何を持っていますか?イエスの証ですね。では、イエスの証とは
何でしょう。預言の霊ですね。イエスの証というのは、イエス・キリス
トによって神の民に与えられた神の啓示であります。預言者を通して
与えられた預言ですね。私たち人間は弱いもので、こうした問題を、
ただの概念、知的なものとしてとらえてしまうのです。
真理というときに、私たちは、それを知的な理解、知的に同意す
ることと考えがちです。しかし、ヘブル語の概念、聖書の概念による
と、真理というのは、命を生きるということで、ただ単に紙に書いた
ものや、読めるものではなくて、もちろんそれに属することはできま
すけれど、真理というものは、私たちの生活において実践するもの
なのです。単なる教理ではないのです。
真理というのは、生活そのものです。その真理に従って生きてい
ないなら、それは、単なる情報にすぎません。日本の皆様、これは非
常に、非常に重要な点です。今日、ほとんどのSDA信者は真理を持
っていながら、真理に従って、生きていないのです。
一つのことを理解すべきです。イエス・キリストは、実に、真理を理
解している人たちによって十字架につけられました。イエスキリストは
44│信仰のリバイバル
今朝のお話は、「主は我らの義」というものです。救いの問題に関
して言うならば、世界中の人たちは4つのグループに分けることがで
きると思います。そのことを、「教会の残りの民」という概念から考え
てみたいと思います。
黙示録12章には、「女の残りの子ら」のことが書かれています。
皆さんはこの「女の残りの子ら」に属している人でしょうか? さだか
ではないですか? この「女の残りの子ら」に入っていることを、はっ
きりさせるべきであると思います。さもなければ、救いを逃してしまう
ことになります。では「女の残りの子ら」の特徴というのはどんなもの
でしょうか。まず、何を守るのでしょうか。神の戒めを守ります。それ
から、何を持っていますか?イエスの証ですね。では、イエスの証とは
何でしょう。預言の霊ですね。イエスの証というのは、イエス・キリス
トによって神の民に与えられた神の啓示であります。預言者を通して
与えられた預言ですね。私たち人間は弱いもので、こうした問題を、
ただの概念、知的なものとしてとらえてしまうのです。
真理というときに、私たちは、それを知的な理解、知的に同意す
ることと考えがちです。しかし、ヘブル語の概念、聖書の概念による
と、真理というのは、命を生きるということで、ただ単に紙に書いた
ものや、読めるものではなくて、もちろんそれに属することはできま
すけれど、真理というものは、私たちの生活において実践するもの
なのです。単なる教理ではないのです。
真理というのは、生活そのものです。その真理に従って生きてい
ないなら、それは、単なる情報にすぎません。日本の皆様、これは非
常に、非常に重要な点です。今日、ほとんどのSDA信者は真理を持
っていながら、真理に従って、生きていないのです。
一つのことを理解すべきです。イエス・キリストは、実に、真理を理
解している人たちによって十字架につけられました。イエスキリストは
44│信仰のリバイバル