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す。それだけでわかります。私たちは一つになっているからです。その
交わりでは、美しい言葉で語る必要はないんです。には孫を抱っこし
ます。抱っこしていたら孫が私の背中をトントン叩いてくれます。それ
は私を信頼してくれているということなんです。には孫の母親が、私
から孫をとって抱きかかえようとします。すると「おじいちゃんと離れ
たくない。おじいちゃんと一緒にいたい!」と泣くわけです。そういった
ことがお祈りなのです。ですから聖書には、絶えず祈りなさいとあり
ますよね。私たちが罪のうちにとどまっているとき、神様との関係が
壊れてしまいます。お祈りができなくなります。それは私たちの神様
に対する態度なのです。聖書に書かれている真理の言葉は、単なる
情報ではありません。生きた力なのです。主が私たちの義なのです。
これが女の残りの子らの経験となるべきであります。

 

第2のペンテコステの到来

世界の人たちが四つに分けられると言いましたけれど、第1は、名
目的再臨信徒、つまり真理を理解していても、ただ情報として受けと
めているだけの人たちです。

2番目は、女の残りの子ら、神の戒めを守り、経験的にそれを実
践している人たちです。イエス様の言葉、イエス様の品性、預言を受
け入れています。また、イエス様の義を受け入れています。イエス・キ
リストが心の中で生きた力となって働かれるのです。生活を通して、
そのような証をしていきます。そういった人たちが女の残りの子らな
のです。

次に、バビロンの教会に二つのグループの人たちがいます。バビロ
ンの諸教会に神の民がいます。

「後の雨」が降るとき、バビロンの教会から呼び出されてくる人た
ちです。それは聖書では、11労働者と言われている人たちです。日本

48│信仰のリバイバル
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