Page 47 - Revival of faith -text final
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義とはなんでしょう。神様は義なるお方ですね。イエス・キリストご
自身も義なるお方です。信仰によって私たちは、神様の義を受け入れ
るのです。そして、イエス・キリストご自身が義なるお方でありますか
ら、イエス・キリストが提供される義を私たちが受け入れ、心のうちに
取り入れた義のうちに生きるのです。そうするときに、私たちの人生に
おいて、イエス・キリストが力を発揮することがおできになるのです。

いろいろな大事な言葉が聖書の中に見られますけれども、それら
は単なる概念、知識ではないのです。み言葉というのは、生きた力で
あります。『お祈り』というに、それはただ単に手を組んで何か神様に
語るということでしょうか。それは単なる概念にすぎません。

バビロンの教育者たちは、人類にそのような概念を教えてきまし
た。しかし、真理というのは単なる情報ではありません。真理は力な
のです。では、お祈りとはなんでしょうか? お祈りとは、私たちと神
様の関係そのものなのです。私たちが神様とつながっている、何か
が起こります。何かを受けるのです。私たちは変えられます。自分自
身を神様にささげます。

    
私には孫がおりまして、生まれて16ヶ月ぐらいです。本当にかわい
い男の子なんです。まだ私が若かった、2人の娘を育てました。子育
てをしていたわけですが、私は仕事と勉強に忙しくしていました。そ
のために、子供たちと一緒に過ごす間をとれなかったのです。しか
し、孫が生まれてからは、状況が変わってきました。「みなさんの中
に、お孫さんがいらっしゃる方、おられますか?」「おお、たくさんい
らっしゃいますね」。孫と交わる、何かが起こります。孫が何かを私に
与えてくれて、私自身も心を彼に与えます。そうすることによって一つ
になります。孫が泣く、何を求めているか、私は理解することができ
ます。だんだん言葉を学び始めているところです。まだ言葉をちゃん
と出すことはできません。音は出しますけれども・・・。そして泣きま

主は我らの義│47
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