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が何か悪いことをしたとき、母は決して私をどなりつけるようなこと
はありませんでした。叩いたりもしませんでした。私の両手を握って、
私を見つめてながら、何も言いませんでした。ただ、私を見つめ、同情
に溢れた目でじっと見るのです。私も母の眼を見つめるのですが、見
ているうちに、母の目が涙ぐんでくるのです。今にも泣きだしそうな顔
でした。そんな母の目を見ることは、私にとって叩かれるよりも、はる
かに辛い罰でありました。

また会う日 - 別れ -

母はしばしば私の救いために祈っていました。私は成長し、世的
なことに興味を持ちました。しかし、教会を去ることはできなかった
のです。どうしてかと言いますと、その度に母の顔が思い浮かび、世
に行こうとする私を思い留まらせたからです。

病床にあった母が亡くなる直前に、私にこのように語りました。

「息子よ、イエス・キリストに忠実であり続けなさい」。

私がこのように立って、説教壇から説教するとき、母は一番前の席
に座り、手を祈るように組みながら、「アーメン、アーメン」と言ってく
れるのでした。そして、説教が終わると、私の所に来て、私の手を彼
女の頬に置いて、「先生!ありがとう」。と言うのでした。皆さんに申し
上げたいのは、母が私にどのように接し、また私を育んでくれたのか
ということです。私の人生に対する彼女の影響は、計り知れないもの
があります。

亡くなる前の数年間、彼女は重い病気を患いました。イエス様が
おいでになるとき、私の母はきっと墓から甦ることでしょう。そして、
私にこのような質問をするでしょう。「息子よ、今日は何の日だろう

6 │信仰のリバイバル
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