Page 157 - 新生への道-text
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ストの義を着せられ、神のみ座にまで高められることな
ど、このような光景を私たちがめい想するように神は望
んでおいでになるのです。

神の愛を疑うことや、神の約束を信頼しないことは、
神を辱め、聖霊を悲しませるのです。たとえば、母親が
子供の幸福と安全のためにあらゆる努力をしてきたにも
かかわらず、子供たちがそのことを全然気にもとめず、
不平ばかり言うなら、母親はどう感じることでしょう。

もし子供たちが母親の愛を疑ったとしたら、母親はど
れほど悲しむことでしょう。どんな親でも、子供からそ
のように扱われるならば、どういう気持ちがするでしょ
う。それと同様に、天の父も、私たちに命を与えるため
に、ひとり子さえも賜ったその愛を私たちが信じないと
したら、私たちを尊重されるでしょうか。使徒は「ご自
身のみ子をさえ惜しまないで、わたしたちすべての者の
ために死に渡されたかたが、どうして、み子のみならず
万物までも賜らないことがあろうか」(ローマ8:32)
と言っています。けれども、口では言わなくても、その
行いで「神は私にこう言っておられるのではない。おそ
らく神は、他の人々は愛されたかもしれないが、私を愛
しておられるのではない」と語っている人がたくさんい

13 主にある喜び | 157
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