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ず、厳格、苛酷で、何の喜びも味わうことがなかったと
考えています。そして、すべての宗教経験がこのような
陰うつな色調を帯びていることが多いのです。

イエスは泣かれたが、笑顔を見せられたことは一度
もないということは、よく言われることです。私たちの
救い主は、本当に、人類のあらゆる悲しみを心を開いて
受け入れられたのですから、悲しみの人であって、悩み
を知っておられたに違いありません。イエスの生涯は自
己否定の生涯であって、悲痛の陰におおわれていました
が、その意気はくじけることはありませんでした。み顔
には、苦しみや不平の色はなく、いつも変わらない平和
な落ち着いた表情が漂っていました。また、イエスのみ
心は命の泉であって、彼の行かれる所はどこにでも、休
息と平和、楽しみ、また喜びがもたらされたのです。

私たちの救い主は、実に真面目で熱心でしたが、決し
て憂うつでもなければ、気難しくもありませんでした。
救い主にならう人々もまた、熱心に目的を持って励むよ
うになり、個人的な責任を深く感じるようになります。
軽率な行為はなくなり、騒々しい楽しみや礼儀をわきま
えないような冗談はなくなります。しかし、イエスの宗
教は川のような平和を与えるのです。それは喜びの光を

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