Page 31 - 新生への道-text
P. 31
す。自分たちが意識していなくても、その力が心のうち
に働いて良心を呼びさまし、行為が改められるのです。
やがてキリストに導かれて十字架を見せられ、自分たち
の罪が彼を刺し通したことを知るとき、おきての精神が
良心にはっきり焼きつけられ、悪に満ちた生活や、心の
底深くに根ざした罪が示されます。彼らはキリストの義
が何であるかを幾らかでも理解するようになり、「あ
あ、なんと罪は恐ろしいものだろう。罪のとりこになっ
た者を救うためには、このような大きな犠牲が払われな
ければならなかったのか。私たちが滅びないで、永遠の
生命を受けるためにはこのような大きな愛、恐ろしい苦
しみ、また、はずかしめが必要だったのか」と叫ばずに
はおられなくなります。

罪人はこの愛を拒み、キリストに引かれることを拒む
こともできますが、逆らいさえしなければ自然にイエス
に引き寄せられるのです。そして救いの計画を知るよう
になると、自分の罪が愛する神のみ子をこのように苦し
めたことを悔いて、十字架のもとにひざまずくのです。

自然界にも働いているこの同じ神のみ心は、人の心
に呼びかけ、人が持ち合わせていない何ものかに対する
表現しがたい渇望を起こさせるのです。この世のもので

03 悔改め | 31
   26   27   28   29   30   31   32   33   34   35   36