Page 34 - 新生への道-text
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ながめて、自分を忌みきらうようになります。
かつて預言者ダニエルは、自分に天使がつかわされた
とき、その天使を包む栄光を見て、自分の弱さと不完全
さを感じ、気を失ってしまいました。その驚くべき光景
に打たれ、「力が抜け去り、わが顔の輝きは恐ろしく変
って、全く力がなくなった」(ダニエル10:8)と言
いました。このように、神と出会った魂は、利己心を憎
み、自己愛を忌みきらい、キリストの品性に調和した心
の純潔を求めるようになります。
パウロは「律法の義については落ち度のない者であ
る」(ピリピ3:6)と言いましたが、ひとたび、律法
の霊的精神が理解されたとき、自分は罪人であると悟っ
たのです。人が律法を外的生活にあてはめ、律法を字義
的に解釈するなら、彼は罪を犯していなかった、と言え
るでしょう。しかし、その聖い条文の深い精神を見つ
め、神がご覧になるように自分を見つめたとき、心はへ
りくだり、神の前にひれ伏し、自らの罪を告白したので
す。彼は、「わたしはかつては、律法なしに生きていた
が、戒めが来るに及んで、罪は生き返り、わたしは死ん
だ」(ローマ7:9)と語りました。ひとたび、律法の
霊的精神がわかったとき、罪の醜さがそのまま、はっき
34 | 新生への道
かつて預言者ダニエルは、自分に天使がつかわされた
とき、その天使を包む栄光を見て、自分の弱さと不完全
さを感じ、気を失ってしまいました。その驚くべき光景
に打たれ、「力が抜け去り、わが顔の輝きは恐ろしく変
って、全く力がなくなった」(ダニエル10:8)と言
いました。このように、神と出会った魂は、利己心を憎
み、自己愛を忌みきらい、キリストの品性に調和した心
の純潔を求めるようになります。
パウロは「律法の義については落ち度のない者であ
る」(ピリピ3:6)と言いましたが、ひとたび、律法
の霊的精神が理解されたとき、自分は罪人であると悟っ
たのです。人が律法を外的生活にあてはめ、律法を字義
的に解釈するなら、彼は罪を犯していなかった、と言え
るでしょう。しかし、その聖い条文の深い精神を見つ
め、神がご覧になるように自分を見つめたとき、心はへ
りくだり、神の前にひれ伏し、自らの罪を告白したので
す。彼は、「わたしはかつては、律法なしに生きていた
が、戒めが来るに及んで、罪は生き返り、わたしは死ん
だ」(ローマ7:9)と語りました。ひとたび、律法の
霊的精神がわかったとき、罪の醜さがそのまま、はっき
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