Page 49 - 新生への道-text
P. 49
か熱情をあなたがたに起させたことか。また、弁明、義憤、
恐 れ 、愛 慕、熱 意、それ から処 罰 に 至らせ たことか。あ な た
がたはあの問題については、すべての点において潔白であ
ることを証明したのである」(Ⅱコリント7:11)と言いま
した。

罪のために道徳的知覚が鈍くなってしまうと、悪を行う
者は自分の品性の欠陥を認めもしなければ、自分の犯した
罪の恐ろしさを悟ることもありません。罪を示す聖霊の力
に従わなければ、人は自分の罪に対して部分的にしか見る
ことができないのです。ですから、その人の告白は真面目
でもなければ熱心でもありません。自分の罪を認めて悪か
ったと言うものの、そのたびに自分の行為に弁解をつけ加
え、ああいう事情さえ起こらなかったら、自分はああもしな
かったし、こうもしなかった、何もしかられることはなかった
のだと言います。

アダムとエバは、禁断の木の実を食べた後、言うに言
われぬ恐れを強く感じました。最初、どのように自分たちの
罪の言いわけをして、恐ろしい死の宣告を逃れようかと考
えました。神が彼らの罪をただされたとき、アダムはその罪
をなかば神に、なかば自分の同伴者に負わせて、「わたしと
一緒にしてくださったあの女が、木からとってくれたので、

04 告白 | 49
   44   45   46   47   48   49   50   51   52   53   54