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わ たしは 食 べ ました 」( 創 世 記 3:1 2 、1 3 )と言 い まし
た。どうしてあなたはへびをお造りになったのですか、どう
してへびをエデンの園にお入れになったのですかという質
問が、この罪の言いわけのうちに含まれていて、それは、彼
らの堕落の責任は神にあると言っているのです。自己を義
とする精神は、偽りの父である悪魔から来たもので、アダム
の息子、娘はみなこの精神をあらわしました。こうした告白
は聖霊に動かされたものではありませんから、神に受け入
れられることはできません。真の悔い改めは、自分の罪を自
分で負い、何の虚飾も偽善もなく、罪を認めるのです。哀れ
な取税人のように、目を天に向けることさえしないで、「神
様、罪人のわたしをおゆるしください」(ルカ18,13)と
叫ぶのです。自分の罪を認める者は義とされます。というの
はイエスは悔い改めた魂のために、自らの血をもって、執り
成しをなさったからです。

神のみ言葉には、悔い改めと謙遜の実例があげられて
いますが、そこには罪の言いわけをしたり、自分を正しいと
するようなことが少しもない、真心からの告白の精神が見
られます。パウロは、自分を弁護することなく、自分の罪を
その恐ろしいままに描き、罪をいくらかでも軽くしようなど
とは考えませんでした。彼は、次のように言っています。「多

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