Page 23 - Yamamoto Family -text final
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破れかぶれの生活
熊本の実家では、両親と妹家族が、突然帰ってき
た息子に何かを感じていたようですが、何も言わず
に受け入れてくれました。父は最初、帰りの費用だ
と言って、3万円を渡してくれましたが、もちろん私
は帰るつもりはありませんでした。1週間ほどしてか
ら、それとなく、しばらくこの家におらせてほしいと
告げ、同居することになりました。私は、生きていく
ために、何か仕事を探すことにしましたが、手っ取り
早く、以前牧師をしていたのだから、結婚式の司式
をしたらどうだろうと考え、キリスト教式の結婚式場
をあたってみました。すると、ある式場で受け入れて
くれることになり、1回2万円で結婚式を担当する
ことになったのです。これなら楽に生きていけると
思いました。自分の家庭はめちゃめちゃで、仕事は
放り出して迷惑をかけてきたのに、人の結婚式の司
式をするなど、とんでもないことを実行しようとして
いたのですが、すべてを支配しておられる神様は、
その寸前でとどめられました。最初の司式の数日前
悲惨と絶望の果てに 23
熊本の実家では、両親と妹家族が、突然帰ってき
た息子に何かを感じていたようですが、何も言わず
に受け入れてくれました。父は最初、帰りの費用だ
と言って、3万円を渡してくれましたが、もちろん私
は帰るつもりはありませんでした。1週間ほどしてか
ら、それとなく、しばらくこの家におらせてほしいと
告げ、同居することになりました。私は、生きていく
ために、何か仕事を探すことにしましたが、手っ取り
早く、以前牧師をしていたのだから、結婚式の司式
をしたらどうだろうと考え、キリスト教式の結婚式場
をあたってみました。すると、ある式場で受け入れて
くれることになり、1回2万円で結婚式を担当する
ことになったのです。これなら楽に生きていけると
思いました。自分の家庭はめちゃめちゃで、仕事は
放り出して迷惑をかけてきたのに、人の結婚式の司
式をするなど、とんでもないことを実行しようとして
いたのですが、すべてを支配しておられる神様は、
その寸前でとどめられました。最初の司式の数日前
悲惨と絶望の果てに 23