Page 14 - My FlipBook
P. 14
は言えません。機械は、その主人が、ある目的のために使う道具に過
ぎません。人格を持った存在だけが、愛を分かち合ったり、幸せを感
じることができます。機械同士は、お互いに関係を結ぶことができ
ません。 

神様は、人間を創造される時、愛し愛される人格を持った存在とし
てお創りになりました。そのような存在こそ、幸福と喜び、発展と向上
を経験し、やりがいを味わうことができます。さらに、親子関係のよ
うに、創造主と愛の関係を持つことができます。

神様は、現在まで、これほど長い悲しみと苦しみの歳月が続くこと
を赦してまでも、人類に回復のための機会を与えて下さいましたが、
それは、なぜなのでしょうか?それは、私たち一人ひとりの命の価値
のゆえなのです。たとえ、罪の結果と苦痛を経験しながら生きたとし
ても、私たちの存在は、神様の目に大きな価値があるためです。人間
が罪を捨てて変えられ、神様との愛の関係を回復して、永久に向上し
て生きるようになる、その素晴らしさは、とうてい言葉で言い表せな
いほどのものです。神様との愛の関係は、何ものより尊いものです。

私たちは、親の愛を説明することはできません。なぜ、親が私たち
を愛するのか、自分を犠牲にして、時には自分の命に換えてまでも愛
してくれるのか、理由などありません。身体が不自由な子供を抱きし
めるその親の無償の愛は、論理的に説明はできませんが、それがな
かったなら、子供たちは生きることが出来なかったことでしょう。

私たちに示して下さった神様の愛は、それよりはるかに強いもので
す。イエス様の十字架は、神様がご自身の命と交換してもいいと思
われるほど、私たちの命に価値を見いだして下さった、神様の愛の
表現です。

14 │ 聖所‐福音の道しるべ
   9   10   11   12   13   14   15   16   17   18   19