Page 121 - Revival of faith -text final
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旧約聖書レビ記の1章において、燔祭をどのようにささげればよい
か、そのプロセスが示されています。この燔祭というのは、私たちの
悔い改めの経験をさしています。

どうして、新しい神学がセブンスデー・アドベンチスト教会に入っ
てきたと思いますか。なぜなら、私たちが聖所のメッセージの理解
を失ってしまったからなのです。この燔祭をささげる過程を覚えてい
るならば、――ぜひ聞いていただきたいのですが――罪人が犠牲と
なる動物を連れてきます。それから何をしますか。その動物を祭司に
渡すわけですね。祭司の仕事とは何でしょう。祭司は、動物を連れて
きた罪人に、罪の告白をして、罪を象徴的にその動物に移したあと、
どのようにしてこの動物を殺すか、その手伝いをしてあげます。現在
の牧師である多くの人々が、この働きをしていません。もし皆さんの
教会の牧師が、このことを教えていないならば、いつまでもその教会
に出席して間違った教えを聞き続けないでください。真理によって皆
さんが養われる、そのような適切なメッセージを探すのは、皆さんの
義務であります。私が言っていることは強すぎますか?きつすぎま
すか? そうは思いません。皆さん、自分の魂をそのような異端的な
教えにさらして、魂を危険にさらすべきではありません。

罪人はこのいけにえの前にひざまずいて、頭の上に手を置いて、み
ずからの罪の告白をします。そして自分のすべての罪が、告白を通して
その動物に移されたことを信じます。そのいけにえというのは、イエス
・キリストを象徴しているわけですね。そして、そのいけにえの動物は
殺されなければなりません。誰が動物を殺すのですか?祭司ですか。
罪人ですか? 罪人が、自分で刃物を持って、耳のあたりから反対の耳
のあたりまで、首をバッサリ切ります。その動物は、罪人の目の前でブ
ルブル震えながら死んでいくわけです。目を開いたまま・・・。

祭司はその、したたり落ちる血を器に入れます。この血を祭司はど
うしますか。聖所に持っていって注ぐんですか? 燔祭の祭壇の四隅

二つの契約│121
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