Page 67 - Revival of faith -text final
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いの力を理解しようとしているんです。そして神様は、私たちが、か
つては邪悪なものであったにもかかわらず、義なるものになったとい
うことを証明しようとしておられます。私たちが、その生き証人とな
るのです。「主なる神が私の義である。彼が私のうちに住んでおられ
る。神様のご臨在、神様が聖霊を通して私のうちに常にとどまってお
られる」、この経験が生きた力となります。私ではないのです。

神様がその創造の力を発揮されます。私を造り変えて、再創造を
行われただけではなくて、常に、これからも私に力を与えてください
ます。私が誘惑されてそれに勝利する力がない時に、自分が弱い者
で、その誘惑に負けてしまいそうになる時に、私は直ちに叫びます。
「神様、あなたは私の義なる方であります。あなたの動機を私のう
ちに植えつけてください。聖霊の動機を、望みを、私の心に湧き上が
らせてください。私にはできません。しかし、あなたはおできになり
ます。神様、どうぞ私を救ってください。あなたの義が私に必要なの
です。パリサイ人の義は私には必要ありません。あなたの完全な義
を私は必要としております」。

このように、私たちが神様のみ前に屈服する時、義なる神様がこの
私の義となってくださいます。それは奇跡ですね。この奇跡を、皆さん
経験しておられますか? 皆さんの生涯において、生活において、この
神様の創造の力を経験しておられるでしょうか。そして、このことが、
安息日を守るということなのです。

私たちは、六日かけて、毎日毎日、創造される経験をするわけです。
そして第七日目がやってきたに、神様の安息日に入ります。そして神様
のうちに休みます。なぜですか。私たちは新しく作られたものとなっ
たからです。六日間、神の義のうちに生きてきました。何を通してです
か。み言葉を通してです。神様の力を通してです。それを通して私たち
は、神様の約束を受けるのです。それが文字どおり私たちの義となり
ます。それが私たちに、勝利の手助けをしてくださいます。

主は我らの義│67
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