Page 68 - Revival of faith -text final
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私はかつて、妻に対して、自分の主張を押し付ける人間でした。
そういった衝動がまた起こってきます。そうする時私は、「待てよ」、
と言い聞かせるわけです。そして神様に心の中で祈ります。「イエス
様、あなたが私の義であります。あなたのみ言葉を、私は心から愛し
ます。あなたの創造の力に信頼を置きます」。 そうやって祈るに、
私の目に涙がたまってきます。涙をできるだけ隠して、私が誘惑され
ている、誘惑にあっているということを隠しながら祈ります。そうし
ているときに家内が私を見るわけですね。その彼女は、私が祈って
いるんだということを理解してくれます。そうするに、彼女も穏やか
になります。イエス様が私の義であります。私には立派な品性という
ものはありません。完全になる力もありません。しかし、神様のうち
に休みを見いだします。そうする時に、神様が私のうちに働いて力を
発揮してくださいます。そして同時に私自身が塵に伏されてされてい
くわけです。

『キリストの実物教訓』361ページをお読みします。「聖霊の働きに
よって魂が清められるということは、キリストの性質を人間の中に植え
付けることである」

『各代の希望』中巻の174ページには、「神様の栄えを表そうと
する熱心さは、聖霊によって植え付けられる動機であって」とありま
す。

皆さんは、しばしば失敗していませんか。そうであるなら、イエス様
に信頼をおいてください。そして、イエス様にあなたの義となっていた
だきたいのです。このように祈り求めればいいのです。「あなたの動
機と希望を私に植え付けてください。そうしたら私は、あなたの命の
うちに生きることができるようになります。あの取税人のように自分
が罪人であることを認めます。主よ、どうぞ私を憐れんでください。今
日、あなたの思いを、今、私のうちに植え付けてください」。このような
祈りの経験が、私たちのものとならなくてはいけません。

68│信仰のリバイバル
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