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ろ、これらの賜物は、常に私たちに神のことを思い出さ
せ、愛と感謝の絆で恵み深い神に結びつけるためのもの
なのです。私たちは、とかくこの世のことに心を奪われ
がちですが、天の開かれた聖所の扉を見上げ、「彼によ
って神に来る人々を、いつも救うことができる」(ヘブ
ル7:25)キリストの顔に神の栄光が輝いているのを
ながめましょう。
私たちは、もっと「主のいつくしみと、人の子らにな
されたくすしきみわざとのために」(詩篇107:8)
神をほめたたえなければなりません。私たちの祈りは、
ただ求めること、与えられることだけであってはなりま
せん。また自分の欠乏ばかり考えていて、受けた恵みを
忘れることがないようにしましょう。私たちは祈ること
が本当に少ない上に、感謝の心が乏しい者です。絶えず
神のあわれみを受けていながら、感謝を言い表すことが
なんと少なく、神が私たちのためにしてくださったこと
について賛美することのなんと少ない者でしょう。
その昔、イスラエル人が礼拝のため集まったとき、神
は次のようにお命じになりました。「そこであなたがた
の神、主の前で食べ、あなたがたも、家族も皆、手を労
して獲るすべてのものを喜び楽しまなければならない。
136 | 新生への道
せ、愛と感謝の絆で恵み深い神に結びつけるためのもの
なのです。私たちは、とかくこの世のことに心を奪われ
がちですが、天の開かれた聖所の扉を見上げ、「彼によ
って神に来る人々を、いつも救うことができる」(ヘブ
ル7:25)キリストの顔に神の栄光が輝いているのを
ながめましょう。
私たちは、もっと「主のいつくしみと、人の子らにな
されたくすしきみわざとのために」(詩篇107:8)
神をほめたたえなければなりません。私たちの祈りは、
ただ求めること、与えられることだけであってはなりま
せん。また自分の欠乏ばかり考えていて、受けた恵みを
忘れることがないようにしましょう。私たちは祈ること
が本当に少ない上に、感謝の心が乏しい者です。絶えず
神のあわれみを受けていながら、感謝を言い表すことが
なんと少なく、神が私たちのためにしてくださったこと
について賛美することのなんと少ない者でしょう。
その昔、イスラエル人が礼拝のため集まったとき、神
は次のようにお命じになりました。「そこであなたがた
の神、主の前で食べ、あなたがたも、家族も皆、手を労
して獲るすべてのものを喜び楽しまなければならない。
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