Page 114 - Revival of faith -text final
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まして、ここに私たちの理性とか判断力とか良心とかがあるのです。
そして、前頭葉の真ん中の部分に、記憶力があります。後頭葉、ここ
は、私たちの感情とか、激情とかいうものをつかさどるところです。
また、食欲とか性欲とかそういった欲情もこの部分はつかさどって
います。ですから、脳の中で、大争闘が行われているわけです。
後頭葉の部分で、食欲が叫ぶかもしれません。「肉が食べたい!」
とか、「いろんな、体によくないものを食べたい!」と、叫ぶことがあ
るわけです。後頭葉の真ん中の部分に、小さいのですが、私たちの
習慣をつかさどっている所があるらしいのです。そこに、自分の好む
物、好まない物の記録が残されているのです。その記憶が、後頭葉
の部分と協力して働くのです。
何年も前に、私は町のショッピングセンターの前を歩いていまし
た。私はかつてアイスクリームが大好きだったんです。「アイスクリ
ームを食べるべきではない」という思いと、後頭葉が「アイスクリー
ムを食べたい!」と叫ぶわけですね。葛藤があります。大きな葛藤で
す。そのショッピングセンターの廊下を歩いていました。そこでサー
ティワン・アイスクリームの看板を見たわけです。日本にもあります
ね。その看板を見た瞬間、後頭葉が叫びだすのです。「アイクリーム
が食べたーい」。「だめだ、だめだ」という部分もあります。「あれを
食べなければ死んでしまうぞ」。歩いていたら、そのアイスクリーム
屋さんを通り過ぎるところでした。突然、後頭葉の部分が私に命令
しました。これが肉の欲ですね。私の霊は、前頭葉にあるわけです
けれども、突然私の肉が命令するわけです。「止まりなさい。右向け
右。3歩前進。財布を出しなさい。お金を払いなさい。トリプルアイス
クリームをください、と言いなさい」。
そして、私の記憶の部分が私を欺こうとします。「この前最後にア
イスクリームを食べたは本当に美味しかったなあ」。記憶が働いて、
よだれがどんどん出てくるわけです。過去の、アイスクリームを食べ
114│信仰のリバイバル
そして、前頭葉の真ん中の部分に、記憶力があります。後頭葉、ここ
は、私たちの感情とか、激情とかいうものをつかさどるところです。
また、食欲とか性欲とかそういった欲情もこの部分はつかさどって
います。ですから、脳の中で、大争闘が行われているわけです。
後頭葉の部分で、食欲が叫ぶかもしれません。「肉が食べたい!」
とか、「いろんな、体によくないものを食べたい!」と、叫ぶことがあ
るわけです。後頭葉の真ん中の部分に、小さいのですが、私たちの
習慣をつかさどっている所があるらしいのです。そこに、自分の好む
物、好まない物の記録が残されているのです。その記憶が、後頭葉
の部分と協力して働くのです。
何年も前に、私は町のショッピングセンターの前を歩いていまし
た。私はかつてアイスクリームが大好きだったんです。「アイスクリ
ームを食べるべきではない」という思いと、後頭葉が「アイスクリー
ムを食べたい!」と叫ぶわけですね。葛藤があります。大きな葛藤で
す。そのショッピングセンターの廊下を歩いていました。そこでサー
ティワン・アイスクリームの看板を見たわけです。日本にもあります
ね。その看板を見た瞬間、後頭葉が叫びだすのです。「アイクリーム
が食べたーい」。「だめだ、だめだ」という部分もあります。「あれを
食べなければ死んでしまうぞ」。歩いていたら、そのアイスクリーム
屋さんを通り過ぎるところでした。突然、後頭葉の部分が私に命令
しました。これが肉の欲ですね。私の霊は、前頭葉にあるわけです
けれども、突然私の肉が命令するわけです。「止まりなさい。右向け
右。3歩前進。財布を出しなさい。お金を払いなさい。トリプルアイス
クリームをください、と言いなさい」。
そして、私の記憶の部分が私を欺こうとします。「この前最後にア
イスクリームを食べたは本当に美味しかったなあ」。記憶が働いて、
よだれがどんどん出てくるわけです。過去の、アイスクリームを食べ
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