Page 133 - Revival of faith -text final
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バチカンの大胆な宣言とイエスの信仰
皆様、お早うございます。今朝は、日曜休業運動について話したい
と思います。今までこの運動は密かになされていたのですが、最近に
なって、大胆に、公になってきています。
バチカンは、来年の中ごろ(2012年)に、日曜日を家族の休息の
日とすべきであると、このように宣言する計画を立てています。これ
は本当に大胆な宣言なんですね。バチカンは、まず最初に下地を作
って、ひそかに下準備をしてから何らかの発表、宣言をするわけです
けれども、今ではそのようではなくなってきているということです。こ
の、日曜休業令というのを、別の呼び方をしているのですね。「家族
の休日」と言っています。興味深いですよね。このような時こそ、私た
ちは、二つのことに備えるべきです。
まず、私たちは、「イエスの信仰」を持たねばなりません。イエス様
に対する信仰ではなくて、イエス様が地上におられる時に持っておら
れた「イエスの信仰」です。イエス様が、十字架にかかられた時きに
持っておられた信仰です。神様から全く見捨てられたように思われ
た、あの時にイエス様が持っておられた信仰です。その時にイエス様
は、なおも神様の、父なる神様の約束を思い出されました。また、ご
自身の経験も・・・。そして、天父のみ言葉にもとづいて、イエス様は、
「すべてが終わった」(ヨハネ19:30)と宣言されたのです。
イエス様が十字架にかかっておられた時、すべてのものが真っ暗
に思われました。弟子たちも、ヨハネ以外は全員散ってしまって、い
なくなっていました。そして、イエス様の中心的な弟子が裏切って、3
度も知らないと否定しました。すべてのものが、暗く思われました。
お先真っ暗の状態でした。イエス様ご自身が、4千年にわたって、メ
シヤの預言を与えてこられたわけですね。神の民に、聖所の儀式の
ことを教えられ、それをするように定められました。神の民が、聖所
にいけにえの動物を連れてきて、それを屠る時に、来たるべきメシヤ
日曜休業令の切迫│133
皆様、お早うございます。今朝は、日曜休業運動について話したい
と思います。今までこの運動は密かになされていたのですが、最近に
なって、大胆に、公になってきています。
バチカンは、来年の中ごろ(2012年)に、日曜日を家族の休息の
日とすべきであると、このように宣言する計画を立てています。これ
は本当に大胆な宣言なんですね。バチカンは、まず最初に下地を作
って、ひそかに下準備をしてから何らかの発表、宣言をするわけです
けれども、今ではそのようではなくなってきているということです。こ
の、日曜休業令というのを、別の呼び方をしているのですね。「家族
の休日」と言っています。興味深いですよね。このような時こそ、私た
ちは、二つのことに備えるべきです。
まず、私たちは、「イエスの信仰」を持たねばなりません。イエス様
に対する信仰ではなくて、イエス様が地上におられる時に持っておら
れた「イエスの信仰」です。イエス様が、十字架にかかられた時きに
持っておられた信仰です。神様から全く見捨てられたように思われ
た、あの時にイエス様が持っておられた信仰です。その時にイエス様
は、なおも神様の、父なる神様の約束を思い出されました。また、ご
自身の経験も・・・。そして、天父のみ言葉にもとづいて、イエス様は、
「すべてが終わった」(ヨハネ19:30)と宣言されたのです。
イエス様が十字架にかかっておられた時、すべてのものが真っ暗
に思われました。弟子たちも、ヨハネ以外は全員散ってしまって、い
なくなっていました。そして、イエス様の中心的な弟子が裏切って、3
度も知らないと否定しました。すべてのものが、暗く思われました。
お先真っ暗の状態でした。イエス様ご自身が、4千年にわたって、メ
シヤの預言を与えてこられたわけですね。神の民に、聖所の儀式の
ことを教えられ、それをするように定められました。神の民が、聖所
にいけにえの動物を連れてきて、それを屠る時に、来たるべきメシヤ
日曜休業令の切迫│133