Page 135 - Revival of faith -text final
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けですね。居心地が悪くなります。足もガタガタ震えるかもしれませ
ん。自分の罪を自覚すると、罪意識が起こってくると、そのように体が
反応しますね。私たちはそのようにして、自分自身の罪を、体で負う
ことになります。それゆえに、私たちは罪の除去の経験が必要になっ
てくるわけです。

罪の記録と記憶の除去     

イエス様が天の記録の書から、私たちの罪の記録を最終的に消
される時に、同時に、私たちの記憶から罪の記憶を消去してくださ
います。私たちはなおも、自分たちが、罪深い、邪悪なものであった
ことを覚えていますが、自分が過去に犯した一つひとつの罪を思い
出すことができないようにされるのです。罪人であったけれども、や
ったことが思い出せないわけですね。そして私たちは、完全な平安、
喜びに満たされるようになります。これこそが、至聖所における真の
赦しの経験なのです。

イエス様は、十字架で人類の罪を負われました。どのようにそれ
をなさったのでしょう。私たちが、罪悪感を覚えるのと同じような形
で、彼は罪悪感を覚えられたのです。イエス様は、ご自身が盗みを犯
し、殺人をし、姦淫を犯し、そのような罪を犯したかのように感じら
れたのです。

詩篇40編を見ると、そこに、私の罪は私の髪の毛の数よりも多
い、上を見ることができません、という言葉があります(12節)。こ
れこそが、イエス様の十字架上での経験を描写した預言なのです。
イエス様は、どのような罪を犯されたでしょうか。彼は純潔、かつ完
全であられました。一つの罪も犯されませんでした。にもかかわら
ず、たくさんの、数知れないほどの罪を犯されたかのように感じら
れたのです。十字架上で、人類の罪のいたみを激しく感じられたの

日曜休業令の切迫│135
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