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実のところ私は、テレビを見るのが大好きだったのです。映画、ド
ラマ、スポーツ、ストレス解消にはそれが一番だと思っていたので
す。私は罪の中にいたのです。それに勝利する方法も知りませんでし
た。特に、アメフトを見るのが大好きでした。最初、アメリカに渡った
ころは、そのスポーツについて知らなかったのですが、見ていたら、
それにはまってしまったのです。日曜日、テレビの前に座って、一日中
見ていることもありました。

ある礼拝日の朝、私の応援しているチームが準決勝まで進み、そ
の決勝戦が安息日にかかってしまったのです。安息日、私は説教す
ることになっていたのですが、その試合のことが、頭の中から離れ
ないのです。聖書の十戒にある、安息日を聖とする教会の牧師なの
に、そして、その安息日の朝、会衆の前で説教しているにもかかわら
ず、私の頭の中は、その試合のことで一杯だったのです。「どっちが勝
つだろうか。私の応援しているチームは勝つだろうか。もし自分が牧
師じゃなかったら、スタジアムに行って応援するのに・・・」

私はそのころ、「安息日を覚えて聖とする」のではなく、ただ土曜
日を礼拝の日として過ごしていただけだったのです。神様からの安息
という経験を、私は持っていなかったのです。神様のみ力によって安
んじる経験ですね。どんな力ですか? 創造の力です。私たちが罪か
ら離れて休みを得るとき、この世から離れて休みを得るとき、自分の
自我を置いて休むことができるとき、イエス・キリストの力によって、
それらのものに休みを得るとき、私たちは、安息日を本当の意味で
守ることができるようになるのです。当私は、そんなことは知りません
でした。ただの土曜日礼拝者だったのです。ですから私は、安息日の
朝、説教していても、フットボールの試合のことしか考えていなかっ
たのです。 

その日の午後、教会に来られなかった信徒の家を訪問していまし
た。そういうときは、たいてい長老さんたちを連れて訪問するので

14│信仰のリバイバル
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