Page 208 - Revival of faith -text final
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て、あたかも自分が神であるかのように、王のように権力をふるって
いた、教会の指導者たちを譴責していたのです。つまり、自分たちの
権力を誤用していた。誤って用いていたんですね。

ダビデとソロモンによって建てられた聖所、神殿について述べて
いますけれども、これは神様の王的な権力、力の、権勢の象徴であ
る、外面的な象徴であるということをステパノは述べました。実際
には人間が建てたどんな立派な建物も、神様をそこに入れることは
できないわけですね。ところが、地上の当の教会は神様を自分たち
のカラの中に、箱の中に閉じ込めようと試みたわけです。しかし神
様は全天をもってもおさめることはできないお方です。そして、地上
の教会も宮も、神様の足台にもならないわけです。神様のご臨在と
比べるならば、地上の教会、地上の神の民、宮、神殿などは無に等
しいものであったわけです。

  

ユダヤ教会の真の目的        

神様は、聖所の儀式の様々な働きを通して、務めを通して、ご自分
の品性をお示しになろうとされました。神様は、人間をどのようにし
て罪の奴隷状態から救い出すかというご計画を、聖所の働きを通し
て示そうとなさったわけです。『テモテへの第1の手紙』によると、教
会が神の真理の基礎、真理の柱であると述べられております(3章
15節)。しかし、教会自体が神となることはできないということ、従
って教会は権威を直接振りかざすことはできないのです。そういっ
た神の権威を振りかざそうとするならば、神の教会であっても反キリ
ストに変わってしまいます。では、教会とは何でしょう。教会とは神の
民のことです。教会とは神の光、真理がおさめられる所であります。
教会というのは、真理、聖書の真理、神の真理を支持するための機
関なのですね。

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