Page 207 - Revival of faith -text final
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に造ったものである。この幕屋は、わたしたちの先祖が、ヨシュアに
率いられ、神によって諸民族を彼らの前から追い払い、その所領を
のり取ったに、そこに持ちこまれ、次々に受け継がれて、ダビデの代
に及んだものである。ダビデは、神の恵みをこうむり、そして、ヤコブ
の神のために宮を造営したいと願った。けれども、実際にその宮を
建てたのはソロモンであった。しかし、いと高き者は、手で造った宮
の内にはお住みにならない。預言者が言っている通りである、『主が
仰せられる、どんな家を私のために建てるのか。私のいこいの場所
は、どれか。天はわたしの王座、地は私の足台である。これは皆私の
手が造ったものではないか』。ああ、強情で心にも耳にも割礼のない
人たちよ。あなたがたは、いつも聖霊に逆らっている。それはあなた
がたの先祖たちと同じである。いったいあなたがたの先祖が迫害し
なかった預言者が、ひとりでもいたか。彼らは正しいかたの来ること
を予告した人たちを殺し、今やあなたがたは、その正しいかたを裏切
る者、また殺す者となった。あなたがたは、御使たちによって伝えら
れた律法を受けたのに、それを守ることをしなかった』
何という力強い証でしょうか。44節から51節の部分まで語っ
たにステパノは、ユダヤの指導者たちが、もう怒りの極みに達してい
るということを見ることができました。これ以上長く話すことはでき
ないだろうと悟ったのです。そこでステパノは結論を急いで52節、
53節の言葉を語りました。このような理論立てをしていけば、もう
少し語ることができたはずなのですが、しかし、もう自分は間もなく
彼らに殺されるであろうということを悟ったステパノは、結論を急い
でまとめてしまいました。
ここで彼が言わんとしていたことは何でしたか?この44節から
51節までで、彼は何を言っていたのでしょうか。教会の権威につい
て述べていたのです。この、当のユダヤ教会において王のような権力
をふるっていた権威について述べていました。自らを神の側に置い
現代のイスラエル│207
率いられ、神によって諸民族を彼らの前から追い払い、その所領を
のり取ったに、そこに持ちこまれ、次々に受け継がれて、ダビデの代
に及んだものである。ダビデは、神の恵みをこうむり、そして、ヤコブ
の神のために宮を造営したいと願った。けれども、実際にその宮を
建てたのはソロモンであった。しかし、いと高き者は、手で造った宮
の内にはお住みにならない。預言者が言っている通りである、『主が
仰せられる、どんな家を私のために建てるのか。私のいこいの場所
は、どれか。天はわたしの王座、地は私の足台である。これは皆私の
手が造ったものではないか』。ああ、強情で心にも耳にも割礼のない
人たちよ。あなたがたは、いつも聖霊に逆らっている。それはあなた
がたの先祖たちと同じである。いったいあなたがたの先祖が迫害し
なかった預言者が、ひとりでもいたか。彼らは正しいかたの来ること
を予告した人たちを殺し、今やあなたがたは、その正しいかたを裏切
る者、また殺す者となった。あなたがたは、御使たちによって伝えら
れた律法を受けたのに、それを守ることをしなかった』
何という力強い証でしょうか。44節から51節の部分まで語っ
たにステパノは、ユダヤの指導者たちが、もう怒りの極みに達してい
るということを見ることができました。これ以上長く話すことはでき
ないだろうと悟ったのです。そこでステパノは結論を急いで52節、
53節の言葉を語りました。このような理論立てをしていけば、もう
少し語ることができたはずなのですが、しかし、もう自分は間もなく
彼らに殺されるであろうということを悟ったステパノは、結論を急い
でまとめてしまいました。
ここで彼が言わんとしていたことは何でしたか?この44節から
51節までで、彼は何を言っていたのでしょうか。教会の権威につい
て述べていたのです。この、当のユダヤ教会において王のような権力
をふるっていた権威について述べていました。自らを神の側に置い
現代のイスラエル│207

