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人は、罪を犯す前には「知恵と知識との宝が、いっ
さい隠されている」(コロサイ2:3)キリストとの交
わりを楽しむことができました。けれども罪を犯した後
は、もはや清いことを楽しめなくなり、神のみ前から隠
れようとしました。今日でも、新生を経験しない人の状
態は同じで、彼らは神と一致していないため、神と交わ
ることを喜ばないのです。罪人は神の前では楽しむこと
ができません。彼らは清い人々との交わりを避けようと
します。たとえ天国に入ることが許されても、少しも喜
びとならないでしょう。天国では無我の愛の精神が満ち
満ちていて、限りない神の愛をすべての心が反映してい
るのですが、そうした精神も、罪人の心にはなんの感動
も与えないことでしょう。そして、その思想も興味も動
機も、天国に住む罪のない人々の心とは全く異なってい
ることでしょう。彼らは天国の美しい音楽と調和しない
ものとなるのです。天国はあたかも苦しいところのよう
に思われ、光であり喜びの中心である神のみ顔を避けよ
うとすることでしょう。悪人は天国に入れないというの
は、なにも神が独断的にお決めになったのではありませ
ん。それは、彼らが自分でそうした交わりに不適当な者
となってしまったからなのです。神の栄光は、罪人にと

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