Page 128 - RememberMe!
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ます。ですから安息日は、創造だけでなく、贖いの記念日でもあるの
で、その日は信仰による義の極地なのです。安息日は、私たちを聖
別する(出エジプト31:13;エゼキエル20:12、20)と約束しているだ
けでなく、神との永遠の契約(出エジプト31:16)であり、神の印です
(黙示録7:2)。安息日を守る人の生涯において、創造主の力が実を
結ぶことができないとしたら、その日は全く意味がなくなります。

罪は、安息日の休みを奪いました。従って、本当の意味で安息日
を迎える人は、「あなたがたの罪は緋のようであっても、雪のように
白くなるのだ」(イザヤ1:18)とのみ言葉に頼り、悔い改めと赦しを経
験することによって、なくしてしまった平安を取り戻せるようになりま
す。聖なる時間の中で、キリストのみかたちに似る新しい者に再創造
される救いの喜びを味わい、人を清くする神の義の衣を着るように
なります。ですから、週ごとの安息日を迎えるたびに、私たちは真の
聖潔を経験して、尊い時間の中で天と調和するようになります。まさ
にそれは、≪時間の至聖所≫へと入って行く経験なのです。

ユダヤ人が神から離れ、信仰によってキリストの義を自らのもの
としなかった時、安息日は彼らにとって無意味なものとなりました。
サタンは、安息日をゆがめようと活動していますが、その理由は、
安息日こそキリストの力の象徴だからです。

ユダヤの指導者たちは、安息日が重荷になるような要求事項で
取り囲んで、サタンの意思を成し遂げました。キリストの時代、安息
日は極度にゆがめられて、ラビたちは事実上、人が従うことのでき

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