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ものではありません。そうではなく、すべての罪に勝利し、キリストの
力によって、完全な品性を築いた人たちの上に臨むのです。それは、
最終時代の福音宣教に、力を与えるために臨むものであって、私た
ちを準備させるために臨むのではありません。

あのペンテコステの日に、屋上の間で、悔い改めて完全に一致し、
用意が整えられていた弟子たちに聖霊が注がれました。皆さんは、
天の父なる神様のみ前に立つ用意が出来ていますか?

3、義認と聖化の過程

聖所の第一の部屋を通って、第二の部屋である至聖所に入り、大
贖罪日と至聖所の経験について、そして、14万4千人の最後の世代
について学ぶ前に、ひとつの事を確認しておく必要があります。

義と認められ、聖化の過程を歩んでいる人は、その後、ひとつの罪
でも犯せば、その義認を失うのでしょうか?はい、その通りです。罪
を犯して倒れた時、悔い改めずにそのまま罪を抱いているなら、その
人は神様の救いから離れてしまうのです。極端だと思われるかもし
れませんが、神様は罪と同居することはおできになりません。神様
は罪をお赦しになりますが、そのためには、カルバリーの十字架が
必要でした。罪人が悔い改めて十字架を信じない限り、神様は罪を
見過ごしにされることはないのです。罪人は、心の罪をすべて、捨て
去らなければなりません。罪を持ったままの人は、天国で生きること
は出来ないのです。そのために、人が天国にふさわしい者であるか
どうかが明らかされる、最後の審判があるのです。

神様がダビデを、み心にかなう者と言われたのは、彼が純潔で、
神様の勧告に従って歩んでいた時のことでした。ダビデが神様から

第5章 │ 105
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