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堕落した経路を通過しています。血で清めない限り、汚れたままで
は決して神様の前に価値あるものと思われません。それらは汚れて
いるため、血によって清められなければ、神様にとって価値あるもの
とはなりません。それらは、しみのない純潔な状態でのぼっていくの
ではなく、神様の右におられる仲保者が、ご自分の義を提示して清
めて下さらない限り、神様に受け入れられるものとはなりません。

この地上の聖所から立ちのぼるすべての香は、浄化作用のあるキ
リストの血の滴りで湿らされなければなりません。キリストは天父の
み前で、世の腐敗に染まっていない、ご自身の功績という香炉を持
たれます。彼は、ご自分の民の祈りと賛美と告白をこの香炉の中に
集めて入れ、ご自身の汚れのない義をそこに加えられます。キリスト
の贖罪の功績によって麗しいものとされてから、神様のみ前に立ち
のぼった香は、十分に、そして完全に受け入れられるものとなってい
ます。それから、恵み深い答が降り注ぎます。

すべての服従、全ての悔い改め、全ての賛美と感謝は、キリストの
義の燃え盛る火で焼かれなければならないことを、全ての人が悟れ
るように願います。この義の香りは、贖いのみ座を取り巻いている雲
のように立ち上るのです。

2、新生の経験の持続性

ここで、先に進む前に、贖いの過程をもう一度復習しておきましょ
う。義認の経験(聖所の外庭の経験)を通して、聖所、即ち聖化の経
験(聖化はクリスチャンが義認を受けると同時に心の中から始まる)
に入ったクリスチャンが、そこで再び罪や過ちをを犯した場合は、どう
すればよいのでしょうか?聖所の中では、罪の赦しのために犠牲が

第5章 │ 101
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