Page 171 - Revival of faith -text final
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が出ていって、徹 底 的に安 息日を 述べ伝えた、我々は聖 霊に満た
された。後の雨を受けたあと、私たちは出て行って、安息日をもっ
と徹底的に述べ伝えるわけです。

次に、『初代文集』149ページですけれど、「生ける神の印を受
け、悩みのときに保護される人々は、イエスの形を完全に反映してい
なければならない」。安息日を、きよく完全に守るということは、イエ
ス様の形、品性を完全に反映することなのです。同じことを言ってい
ます。

神様のうちに安息するということは、神様の創造の力にみずから
をゆだねて、安んじるということです。そして、世から休むということ
は、罪から休むということ、自我から休むということ、人間に頼ると
いうことから休む、ということです。その、完全に神のうちに安んじる
ことができるということです。その、私たちの品性は、イエス様の品
性に似たものとなります。

シナイ山で、モーセが、神様に(イエス様だったのですけれど)お
会いした、神様の栄光を彼の顔が反映するようになりました。民は、
「あなたの顔をまともに見ていられないので、ちょっと何かかぶり物
をしてください」と言いましたね。罪人は神様のご臨在の栄光に耐え
られないのです。週ごとに安息日を守る経験というのは、イエス様の
栄光のうちに休むという経験であり、イエス様がおいでになった後
に、永遠に神様のうちに休むということを予表しています。

『各代の大争闘』下巻418ページをお読みします。「彼らは第4
条の安息日が生ける神の印であることを知るが、しかしもう遅い」。
ノアの代にも、神様を信じている人は大勢いました。しかし、神様を
信じていても、箱舟に入らなかったら、 神様によって刑罰を受けた
のです。

救いには、条件があります。何でしょう。完全に屈服するというこ
とです、完全に屈服するとはどういうことでしょう。神様の戒めを守

生ける神の印│171
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