Page 65 - RememberMe!
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います。それなら、キリストの復活を固く信じて説いたパウロについ
ては(Ⅰコリント15章)、なんと説明すれば良いのでしょうか?彼は、
イエスの昇天から23年後に当たる西暦54年頃にも、変わらず十
字架のイエス、復活なさったイエスを説きながら、記録されている
だけで、十回の安息日を守っていました。

13.[日曜礼拝の根拠とは?]

「週の初めの日に、わたしたちがパンをさくために集まった時、パウ
ロは翌日出発することにしていたので、しきりに人々と語り合い、夜中
まで語りつづけた」(使徒行伝20:7)。

正確な歴史家として定評のあるルカは、復活後30年余りが過
ぎた、西暦63年頃までの使徒の歴史を記録した使徒行伝におい
て、少なくとも84回、安息日が遵守されたことを暗示しています。
一方、週の第1日目である日曜日に関する言及は、ここ一箇所しかな
いのです。パウロはイエスと同様、自分の慣例どおり、トロアスで安
息日を過ごして、安息日が終わった後の初日(週の初めの日)、つま
り、土曜日の晩にも集会を持ちました。その理由は、「パウロは翌
日出発することにしていたので」、特別に送別集会が開かれたので
した。使徒行伝20章6節から13節を読むと、ここに、疲れていた
ユテコが窓から落ちる場面が出てきます。この時の集会は、日曜日

新約聖書と安息日 65
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