Page 69 - RememberMe!
P. 69
5 安息日の遵守
このような前後関係を正しく理解すると、使徒たちは安息日には
旅に出ないで、慣例どおりに信者たちと共に礼拝して過ごしました。
そしてそのまま夜中まで特別集会をし、その翌日、すなわち安息日
の翌朝発つつもり(20:7)でした。ミレトでは水曜日か木曜日に、エ
ぺソの長老たちのために特別集会をしたのです。この二つの集会
が、これほどの強行軍で行われた理由は、それがパウロの最後の旅
行であって、もう二度と会えないことが分かっていたからでした(使
徒行伝20:37、38)。従って文脈から分かるように、使徒パウロが
旅行中も厳格に守った日は安息日であり、「安息日後の初日」であ
る日曜日は、旅に出る通常の日であったことが明らかになります。

日曜日を守る教会の卓越した歴史家であるネアンデルも、使徒
行伝20章の出来事が、日曜日を遵守したことを立証する根拠とは
なり得ないことを、率直に認めています。「これらの聖句は全的な
確証を与えない。なぜならば、使徒の切迫した出発が、この小さな
教会にとって、送別の食事を伴う集会であったはずで、この場合、
特別な祭りでなかったにせよ、使徒は最後の話をしたはずだ」(Au-

gustus Neander, The History of the Christian Religion and Church, 1831,
vol. 1. 337)。

新約聖書と安息日 69
   64   65   66   67   68   69   70   71   72   73   74