Page 71 - RememberMe!
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葉に服従する人たちです。神の最高の権威をもって宣布された十
戒は、神が撤回なさらない限り、私たちは十戒を今日も拘束力を持
った律法として受け入れなければなりません。
最後の日に、私たちは神の律法によって裁かれるという事実を、
覚えていなくてはいけません。支持する人の数がどれほど多くても、
「主はこう言われる」との御言葉を覆すことはできないのです。
今日、この社会を操作することで安息日遵守を難しくした張本人
は、サタンです。しかし神は、決して私たちに不可能なことを要求な
さいません。いかなる状況であっても、神の戒めを犯す正当な理由
はないのです。
神の子供たちが、ただ一つの戒めに背くよりは、むしろ死を選ぶ
決心をするならば、それは愛の力によるものです。安息日に関する
問題は、曜日に関する問題ではなく、結局は愛についての問題なの
です。愛の動機なくして神の律法を守ろうと奮闘するならば、クリス
チャンの生涯は形式的、かつ悲惨なものになることでしょう。
15.[どの日であれ守れば良いのか?]
「また、ある人は、この日がかの日よりも大事であると考え、ほかの人
はどの日も同じだと考える。各自はそれぞれ心の中で、確信を持って
おるべきである」(ローマ14:5)。
新約聖書と安息日 71
戒は、神が撤回なさらない限り、私たちは十戒を今日も拘束力を持
った律法として受け入れなければなりません。
最後の日に、私たちは神の律法によって裁かれるという事実を、
覚えていなくてはいけません。支持する人の数がどれほど多くても、
「主はこう言われる」との御言葉を覆すことはできないのです。
今日、この社会を操作することで安息日遵守を難しくした張本人
は、サタンです。しかし神は、決して私たちに不可能なことを要求な
さいません。いかなる状況であっても、神の戒めを犯す正当な理由
はないのです。
神の子供たちが、ただ一つの戒めに背くよりは、むしろ死を選ぶ
決心をするならば、それは愛の力によるものです。安息日に関する
問題は、曜日に関する問題ではなく、結局は愛についての問題なの
です。愛の動機なくして神の律法を守ろうと奮闘するならば、クリス
チャンの生涯は形式的、かつ悲惨なものになることでしょう。
15.[どの日であれ守れば良いのか?]
「また、ある人は、この日がかの日よりも大事であると考え、ほかの人
はどの日も同じだと考える。各自はそれぞれ心の中で、確信を持って
おるべきである」(ローマ14:5)。
新約聖書と安息日 71