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か、足が折れたり曲がったりしていないか、目は良く見えるかなどを
調べました。神様に捧げられるものは、最も良い、完全な供え物でな
ければなりませんでした。これはもちろん、傷のない小羊イエス・キ
リストを象徴するものですが、同時に、罪人が神様に立ち帰るために
は、純粋な完全な悔い改めが必要であることも表していました。

レビ記1章3、4節は次のように語っています。「もしその供え物
が牛の燔祭であるならば、雄牛の全きものをささげなければならな
い。会見の幕屋の入口で、主の前に受け入れられるように、これをさ
さげなければならない。彼はその燔祭の獣の頭に手を置かなければ
ならない。そうすれば受け入れられて、彼のためにあがないとなるで
あろう」。

神様のみ前に進み行く時、私たちは真心からの、純粋な悔い改め
という供え物を携えて行くべきなのです。

「神の受けられるいけにえは砕けた魂です。神よ、あなたは砕け
た悔いた心をかろしめられません」(詩篇51:17)。

「神のみこころに添うた悲しみは、悔いのない救を得させる悔改
めに導き、この世の悲しみは死をきたらせる」(Ⅱコリント7:10)。

聖所に行く最初の段階は、神様の招きの中で、犯した罪を心から
悲しむ、真の悔い改めといういけにえを準備することです。

4、聖所に行く道で

私たちが聖所を見る時、そこに二つ
の目的があることを覚えなければなり
ません。第一は、主イエス・キリストの
十字架による罪の赦しと、日々私たち

32 │ 聖所‐福音の道しるべ
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