Page 56 - Revival of faith -text final
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イエス様はすべての罪に勝利なさった。彼は完全であられた。完全
に義なるおかたであった。イエス様を個人的救い主として受け入れる
限り、彼の義が私の義とみなされるようになる。それは無償の賜物で
ある」と・・・。ある意味でこれは正しい教えですけれども、しかし、本
当の意味で、イエス様を個人的救い主として受け入れるということを
理解していないのです。このことは、単なる概念、知識ではないので
す。イエス様を受け入れるということは、イエス・キリストが私のうち
に生きるということなのです。私の主として、心の中に生きていただく
ことなのです。私の心を、私のすべてを支配していただくことです。私
の生涯の、瞬間、瞬間を支配していただくということなのです。

イエス様が私たちの主となっていただくとはどういうことでしょう
か。自分自身を塵に伏させるということです。自分自身の栄誉、栄光
を塵に伏させるということです。完全に屈服するということです。そし
て、自分自身を神様にささげるということです。そして、神様の前に告
白します。「主よ、私にはできません。しかし、あなたはおできになり
ます。ですから、わたし自身を土の器としてあなたにおささげします。
どうぞ私の心の中に入ってきて、私の品性を形作ってください。そし
て、あなたの命を、私のうちで生かしてください」。

々私は、単純な歌を歌います。「今日、私の心の中に入って、とどま
ってください」という歌です。主なる神様だけが、私の救いの可能性
なのです。

たしかに、「私のためにイエス様は十字架にかかってくださった」。
ということを、私たちは受け入れています。しかしそれだけではなく、
今現在の、私の救い主として受け入れるのです。そうすることによっ
て、今日の、私の現在の状況をイエス様が助けてくださいます。それ
故に、私は、私の義としてイエス様を受け入れるのです。イエス様だけ
が、人として義なる生涯を全うされた方であります。私たちは不義な
る者です。自分の努力で義を作り出すことは、決してできません。そ

56│信仰のリバイバル
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