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方、取税人は離れて立って、このような祈りをささげました。「神様、
罪人の私をお許しください」と。

この聖句を、単純に説明したいと思います。実は、今でも、自分の
義に頼っている多くのパリサイ人が存在するのです。健康的な食事
をして、什一を忠実にささげて、夫婦げんかもしないで、短気を起こ
さないで、教会で人にもやさしく接して、公衆の前で悪い態度をとら
ないでいるとき、「最近自分はなかなかいい生活をしているぞ」と思
うようになり、自分は神様の厚意を受けるに値すると、そのように感
じたならば、そのあなたこそが、現代のパリサイ人なのです。

反対に、罪や過ちを犯してしまったあなたはどうしますか。そうい
う人は、自分が良くなったと感じるまで待って、神様に受け入れられ
ると思ったら、神様のもとに行こうとします。例えば、何か間違いを
犯してしまったとします。短気を起こしてしまったとします。誰かとけ
んかをしたとします。教会の理事会でけんかをして人とぶつかったり
して、面目を潰してしまった、あるいは、何か見てはいけないものを
見たとします。そういった形で失敗したとします。そういうどうします
か。お祈りをしなくなりますね。そして、しばらく待って、神様の厚意
を受けるにふさわしくなってから、神様のもとにきてお祈りをする、
このようにやっていませんか。多くのSDAのクリスチャンが、自分の
義は、自分の義なる行為、立派な行いにかかっていると、実際には
考えています。

では、取税人の祈りはどういうものだったのでしょうか。単純な
ものでした。二つのことを彼は悟っていました。「神様、私は罪人で
す」。神様の目から見たら、取税人もパリサイ人も、違いはなかった
のです。しかし、取税人は自分が罪人であることを悟っていました。

もう一つ、彼は自分の力では義を行うことはできないと悟っていま
した。そこで、神様の憐みを乞い求めたのです。

このような形で、私は永遠の福音を、23年間説いてきました。結

主は我らの義│59
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