Page 117 - RememberMe!
P. 117
自由に農耕に携わるように」(Codex of Justinian, lib. 3, tit. 12, leg. 3, in

Pgilp Schaff, History of the Christian Church, vol. 3(New York: Scribner,

1902), 380)。
コンスタンティヌス帝が、休業日にするように命令した日の対象

である「偉大なる太陽」は、イエス・キリストではなく、皇帝である
自分自身を含む、ローマの人々が仕えてきた「無敵の太陽」すなわ
ち「ミトラ神」なのです。

コンスタンティヌスは生涯にわたって太陽崇拝者であり、彼の改
宗は名ばかりのものでした。キリスト教に改宗した後も、古代ギリ
シアとローマの太陽神であるアポロ(Apollo)を高めるための貨幣
を造りつづけ、死ぬまで太陽神の大祭司長の称号である“Pontifex
Maximus”を使用しました。そして、やがて、これがローマ教皇の称
号として取り入れられたのです。彼は、キリスト教と異教とを同時に
維持しようとする政策を立てましたが、コンスタンティヌス帝が休
業日とするように命じた日は、復活を記念する聖日(Holy Day)では
なく、スポーツや娯楽などを楽しむ世俗的な休日(holiday)に過ぎ
なかったのです(Kenneth S. Latourette, A History of Christianity(New
York: Harpe & Brothers, 1953, 92, 93)。

当初は、不法宗教となったユダヤ教と区別させるために行われて
いた日曜礼拝でしたが、いつしか太陽神の名において休息を命令
する異教的な政策となりました。ではなぜ、このような異教政策を、
教会の指導者らがむしろ推進し、歓迎したのでしょうか?

キリスト教会に入ってきた異教の風習イースター、クリスマス 117
   112   113   114   115   116   117   118   119   120   121   122