Page 116 - RememberMe!
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なければなりません。
キリスト教で信仰されるイエスは、「義の太陽(Sol Juvictus)」と
呼ばれるため、ローマ人たちの「不敗の太陽(Sol Invictus)」であ
る、ミトラと同じ神であると考えられるようになりました。このよう
な論理が、教会の日曜礼拝を正当化したのです。こうした、キリスト
教と異教の融合によって、さらに、日曜日の神聖論、霊魂不滅説な
どが起き、後には、クリスマス祝祭やマリア崇拝などが、次々に教
会に導入されていったのです。
《コンスタンティヌス帝の日曜休業令―西暦321年》
東西に分断されたローマ帝国を統一する過程において、キリスト
教に改宗したコンスタンティヌス(Constantine)帝が、313年にミラ
ノの勅令(the Edict of Milan)を発布し、宗教自由を認めるという
劇的なことが起こりました。そして、教会とクリスチャンに、大きな
特典を提供する一連の措置を取ることによって、クリスチャンたち
の申し分ない歓心を買うようになり、このような気運の中、皇帝は
321年3月7日に次のような歴史的勅令を出します。
「偉大なるこの太陽の日に、すべての判事たちと都市に住むすべ
ての人々、ならびに商売を営むすべての人々は休業せよ。ただし農
村に住む人々は、天が用意して与えた恵みを喪失しないように、種
を蒔いたりブドウの木を栽培したりするにあたって、それほど適切
な時がない場合があるので、適期を逃さないために、この日も全く
116 Remember me!
キリスト教で信仰されるイエスは、「義の太陽(Sol Juvictus)」と
呼ばれるため、ローマ人たちの「不敗の太陽(Sol Invictus)」であ
る、ミトラと同じ神であると考えられるようになりました。このよう
な論理が、教会の日曜礼拝を正当化したのです。こうした、キリスト
教と異教の融合によって、さらに、日曜日の神聖論、霊魂不滅説な
どが起き、後には、クリスマス祝祭やマリア崇拝などが、次々に教
会に導入されていったのです。
《コンスタンティヌス帝の日曜休業令―西暦321年》
東西に分断されたローマ帝国を統一する過程において、キリスト
教に改宗したコンスタンティヌス(Constantine)帝が、313年にミラ
ノの勅令(the Edict of Milan)を発布し、宗教自由を認めるという
劇的なことが起こりました。そして、教会とクリスチャンに、大きな
特典を提供する一連の措置を取ることによって、クリスチャンたち
の申し分ない歓心を買うようになり、このような気運の中、皇帝は
321年3月7日に次のような歴史的勅令を出します。
「偉大なるこの太陽の日に、すべての判事たちと都市に住むすべ
ての人々、ならびに商売を営むすべての人々は休業せよ。ただし農
村に住む人々は、天が用意して与えた恵みを喪失しないように、種
を蒔いたりブドウの木を栽培したりするにあたって、それほど適切
な時がない場合があるので、適期を逃さないために、この日も全く
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