Page 118 - RememberMe!
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名目的な改宗を経たコンスタンティヌス帝は、西暦313年ミラノ
の勅令によって、信仰の自由を認め、聖職者たちに兵役と納税の義
務を免除して、司法上の特別な恩恵や、補助金の支給などのおびた
だしい特権を付与しました。さらに、教会の私有財産権を認め、教
会を非課税とするなど、政治的配慮が深くなると、キリスト教会は
たちまち現実に目がくらんで、退廃的な政治宗教に様変わりしてし
まいました(J. L. Hurlbut, The Story of the Christian Church(Grand Rap-
ids: Zondervan Publishing House, 1970, 60)。

その後、聖職売買が始まるようになり、聖職争奪のために政治
的手段が動員され、366年、ローマ教会の監督ダマスス(Damasus)
を選出する時には、ならず者たちが動員されました。415年、アレキ
サンドリアでは、聖職に立ったヒパティア(Hypatia)がならず者に殴
られて死ぬという事件まで起りました。

《キリスト教の公的な日曜日遵守》
このように、日曜日の礼拝は非聖書的な背景を持ち、非常に人
為的、かつ異教的な方法で教会に侵入し、定着するようになりまし
た。そして、教会でも日曜礼拝を合法化させるための会議が幾度
も開かれ、ついに、聖書の権威ではなく、教会の総会で決議され
たのです。

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