Page 112 - RememberMe!
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ー」、ドイツ語では「オストン」と呼ばれる復活節が確立しました。
しかし、その根源が全く聖書にないことは、教父たちの記録や、「復
活節-日曜日論争」の歴史を見ればすぐに分かります。

次に、5世紀の教会歴史家ソクラテス(Socrates)の証言を引用し
ます。

「イースター(復活節)の祝祭が遵守されたという指摘は、新約
聖書や使徒たちの記録のどこにもない。主とその弟子たちが、こ
れ(復活節)や他の祝祭を命じたことはない。イースター(復活節)
も、他の多くの慣習と同様、教会が異教の古くからの用語を変え
て永久化したものに含まれる」(The Encyclopedia Britannica, 11th
ed.(1910), vol, VII, 828)。

古代のアングロサクソン族が、春の女神として仕えてきた、「オス
ターラ(OstaraあるいはEostre)」のために催された、多産を願う春
の祭りが「イースター」でした。東(Ost)で生まれて、地に新しい生命
をもたらす春の太陽を象徴していたこの女神は、「復活節の卵」や
「復活節のウサギ」が表しているように、旺盛な生殖と多産を象徴
します。この春の女神「オスターラ」は、旧約聖書に出てくる、カナ
ンの女神アシタロテ(士師2:13;10:6;サムエル上7:3、4:列王上
11:5;列王上11:5、33)と、アッシリアとバビロンの女神「イシュ
タル(Ishtar)」のような存在であることが明らかにされています(The

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