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彼らが人々を打ち殺していた時、わたしひとりだけが残されたので、
ひれ伏して、叫んで言った、「ああ主なる神よ、あなたがエルサレムの
上に怒りを注がれるとき、イスラエルの残りの者を、ことごとく滅ぼ
されるのですか」。主はわたしに言われた、「イスラエルとユダの家
の罪は非常に大きい。国は血で満ち、町は不義で満ちている。彼ら
は言う、『主はこの地を捨てられた。主は顧みられない』。それゆえ、
わたしの目は彼らを惜しみ見ず、またあわれまない。彼らの行うとこ
ろを、彼らのこうべに報いる」。時に、かの亜麻布を着、物を書く墨
つぼを腰につけていた人が報告して言った、「わたしはあなたがお
命じになったように行いました」”(エゼキエル9:1~11)。

使徒パウロも、同じ意味で、印を押すことを説明しています。印を
押されるということは、罪と汚れから離れ、神様のみ言葉の通り生
きる品性を言います。「しかし、神のゆるがない土台はすえられてい
て、それに次の句が証印として、しるされている。『主は自分の者たち
を知る』。また『主の名を呼ぶ者は、すべて不義から離れよ』」(Ⅱ
テモテ2:19)。

もう一度強調しますが、最後の艱難の嵐が押し迫る前に、神様の
まことの民、「女の残りの子ら」が準備されます。彼らは「神の戒めを
守り、イエスを信じる信仰を持ちつづける聖徒」(黙示録14:12)
たちです。最終の時代に、神様の教会である女の残りの子らの特徴
を、聖書はこのように語っています。「龍は、女に対して怒りを発し、
女の残りの子ら、すなわち、神の戒めを守り、イエスのあかしを持っ
ている者たちに対して、戦いをいどむために、出て行った」(黙示録
12:17)。

女の残りの子らが、獣の刻印の艱難を通り、額に押される最終の

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