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が告白した罪が象徴的に含まれていました。その血を受けて、祭司は
聖所に入り、垂れ幕の前の床に七たび注ぎ、罪人のために祈る時に、
あがないは完了しました。それは、私たちが告白した罪が、天の聖所
に届けられ、記録の書に保管され、十字架に架かり、復活して昇天さ
れた大祭司であるイエス様が、その罪のために執り成しの祈りを天
父にささげる時に、あがないが完了することを象徴していました。

地 上の 聖 所 制 度において、告白された罪は、赦されていてもな
お、聖所の汚れとして大贖罪日まで残り続けていたように、天の聖
所もまた、罪人の告白された罪によって汚されています。

「彼は言った、『二千三百の夕と朝の間である。そして聖所は清め
られてその正しい状態に復する』」(ダニエル8:14)。

現在私たちは、聖所が清められて正しい状態に回復される、大贖
罪日の時に生きています。死んだ者と、生きている者のすべての罪
が調査される、裁きの時代、罪の除去の時代に生きているのです。
大贖罪日には、古代イスラエルの民は、聖所の周囲に集まって、徹
底的に、罪を悔改めて捨て去ったかどうか、自分の心を深く探りま
した。真の大贖罪日の時に生きている私たちも、今は、罪を悔改め
ることだけでなく、捨て去って、清さをまとわなければならないので
す。そして、罪から清められた人々の罪が、記録の書から除去され、
天の聖所が清められるのです。ああ、何と厳粛な時代でしょう!

144 │ 聖所‐福音の道しるべ
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