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第5章
聖所-聖化の経験
聖所の外庭で、「世の罪を取り除く神の小羊」(ヨハネ1:29)の恵
みを体験し、回心して新しく生まれ、罪を清く洗われた人は、(信仰
によって)聖所の第一の部屋に入り、その経験を維持し継続する方法
を学びます。救いとは、一度受けたら永久に自分の所有物になるも
のではありません。救いは、神様の恵みの賜物として、私たちに与え
られるものですが、救いが与えられた時、私たちの心の中で起きた
特別な変化は、神様の力と恵みによって毎日維持していかなければ
ならないものです。ですから私たちは、主にあって、毎日新しく生ま
れる必要があり、毎日救いの経験を保持していく必要があります。
そのことを私たちは、ヨハネによる福音書15章5節の、ブドウの木
のたとえから学ぶことができます。「わたしはぶどうの木、あなたが
たはその枝である。もし人がわたしにつながっており、またわたしが
その人とつながっておれば、その人は実を豊かに結ぶようになる。わ
たしから離れては、あなたがたは何一つできないからである」。
私たちは、イエス様とつながり、受けた救いを、神様の恵みと力に
よって保持していかなければなりません。そのためには、私たちの意
志を常に主に捧げるべきであって、私たちの継続的な、熱心な努力
82 │ 聖所‐福音の道しるべ
聖所-聖化の経験
聖所の外庭で、「世の罪を取り除く神の小羊」(ヨハネ1:29)の恵
みを体験し、回心して新しく生まれ、罪を清く洗われた人は、(信仰
によって)聖所の第一の部屋に入り、その経験を維持し継続する方法
を学びます。救いとは、一度受けたら永久に自分の所有物になるも
のではありません。救いは、神様の恵みの賜物として、私たちに与え
られるものですが、救いが与えられた時、私たちの心の中で起きた
特別な変化は、神様の力と恵みによって毎日維持していかなければ
ならないものです。ですから私たちは、主にあって、毎日新しく生ま
れる必要があり、毎日救いの経験を保持していく必要があります。
そのことを私たちは、ヨハネによる福音書15章5節の、ブドウの木
のたとえから学ぶことができます。「わたしはぶどうの木、あなたが
たはその枝である。もし人がわたしにつながっており、またわたしが
その人とつながっておれば、その人は実を豊かに結ぶようになる。わ
たしから離れては、あなたがたは何一つできないからである」。
私たちは、イエス様とつながり、受けた救いを、神様の恵みと力に
よって保持していかなければなりません。そのためには、私たちの意
志を常に主に捧げるべきであって、私たちの継続的な、熱心な努力
82 │ 聖所‐福音の道しるべ